高知城の歴史

土佐24万石を襲封した山内一豊によって創建されて以来、約400年余りの歴史を有する南海の名城として名高い

年 号 西 暦 記 事
慶長6年 1601 山内一豊土佐国に入国し浦戸城に居城
現在の城山・大高坂山を新城の地と定め江戸幕府へ報告
百々越前を総奉行として築城の命を下し地鎮祭を催す
鍬初式を行ない築城着工にかかる
慶長8年 1603 本丸と二ノ丸の石垣工事が完成
本丸・詰門・廊下門・太鼓櫓が竣工
初代藩主山内一豊が入城する
この日城内において盛大な祝宴が催された
大高坂山の地名を「河中山」と改める
慶長15年 1610 河中山を「高智山」と改める
慶長16年 1611 三ノ丸が完成し、着工以来10年目にしてほぼ全城郭が整う
寛文4年 1664 追手門を再建する
享保12年 1727 城下町の大火で追手門を残し天守はじめほとんどの建物を焼失する
享保14年 1729 深尾帯刀を普請奉行に任命し再建に着手する
延享3年 1746 本丸の再建に着手する
寛延2年 1749 天守が完成、現在の天守はこの時のもの
宝暦3年 1753 三ノ丸完成し、着手以来25年目にしてほぼすべての建物が整う
享和元年 1801 追手門の大修理を行う
弘化3年 1846 天守の修理を行う
明治6年 1873 明治4年(1871年)廃城令により天守等の本丸周辺建造物と追手門を残し城郭建造物がとり払われた
明治7年 1874 高知公園として一般に開放される
昭和9年 1934 国宝に指定される(昭和25年文化財保護法により重要文化財となる)
昭和23年 1948 天守をはじめ各建造物の修理を始める
昭和34年 1959 修復工事完成
平成2年 1990 追手門矢狭間塀など修復工事完成
平成16年 2004 本丸南石垣修復工事完成
平成22年 2010 三ノ丸石垣修復工事完成
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